「親は子どもの代わりに人生を歩けない」けど、背中を押したくなる瞬間がある。

two woman standing on seashore near sea

8月4日。息子の新しい学校生活が始まりました。
初日、そして2日目。
私は今、彼の背中をどう支えるのか、自分自身に問い続けています。


本当は、もっとドライに構えられた方が楽なのかもしれない、
「子どもは子ども、親は親」って、割り切ってしまえたら、もう少し気持ちが軽くなるのかもしれない

でも、大切だから、揺れる。そうやって、親から子へ、ずっと愛は受け継がれてきたんだと思う。
心配して、祈って、願って――
それでも明日を信じるから、今日も私は生きている。

そのつながりが、私たちの命のいちばん深いところにあると、私は信じている。

これは、ある朝に起きた小さな出来事と、そこから生まれた私の揺れと祈りの記録です。


目次

新しい環境で、また「行きたくない」と言った朝

新しい学校、2日目の朝。

息子はやっぱり「行きたくない」と言った。
昨日と同じ、とは限らない、そう思っていたけれど、やっぱりという言葉が浮かんできました。

彼は、友達とのコミュニケーションがとても苦手。
話しかけられると体を反対に向けてしまったり、目を合わせなかったり。
「おはよう」と声をかけてくれる子がいても、聞こえないくらい小さな声で返したり、返さなかったり。

わざと無視してるんじゃない。
どうしていいかわからないんだって、私は知っています。
でも、そんな彼を見ると、胸が痛む。
私はやっぱり、悲しいと感じてしまうんです。


親はどこまで待ち、どこで背中を押すのか

「今じゃない」
「そんな気分じゃない」
「言いたくない」

そう言う息子に、私は今朝、思わず「じゃあ、いつなの?」と強く言ってしまいました。

集団の中に入っていけない彼。
その輪の中で、勇気を出して自分から声をかける。
それが、どれほど難しいことか、頭ではわかっている。
でも、「今、やらせてみなきゃ」と思ったのです。

彼はもうすぐ11歳。
ずっと“暗いところ”で、自信を持てずにいるように見えてしまう。
もしそれがコンプレックスになるなら、今こそ何かを変えるタイミングじゃないかと。

だけど…
そのときの彼の目を見た瞬間、心がぐらつきました。
「今じゃなかったのかもしれない」
そう感じながらも、私の言葉は戻せないままでした。


児童心理の視点から考える「挨拶できない子ども」

恥ずかしさ、人前で話すことへの不安、視線恐怖――
それは、発達段階の自然な反応であることも多いと、児童心理では言われています。

特に子どもが新しい環境に入ったとき、“選択的緘黙(かんもく)”や“社交不安”といった状態になることもあります。
これは「声を出さない」「話せない」というよりも、“どうしていいかわからない”という混乱の現れです。

また、「自分から声をかける」という行動は、
自己効力感(=“自分にはできる”という感覚)と深く結びついています。

この感覚を育てるには、
「自分のペースでチャレンジできること」「失敗しても責められない安心感」
が、必要不可欠だと言われています。


「やらせる」ではなく「信じて支える」ために

私は今日、彼にとって「安心できる場」を与えられただろうか。
それとも、“正しさ”のために、彼の混乱を見過ごしてしまっただろうか。

親が良かれと思って「やらせる」ことが、
時に「期待を押し付けられる体験」になり、心に残ってしまうこともある。

けれど同時に、チャレンジの機会を全て避け続けることも、彼の未来を閉じてしまうかもしれない。

どこまでが「信じて見守る」で、どこからが「放任」なのか。
どこまでが「背中を押す愛」で、どこからが「コントロール」になるのか。

その境界は、いつも曖昧。
正解なんてない…


だから私は、自分の内側を見つめる。
彼の表情を、言葉以上に読む。
それだけを、繰り返していくしかないのだと思います。

その積み重ねこそが、唯一の「関係の正解」になり得るのかもしれません。

正解のない親子関係の中で、今日も私は揺れて、そして祈ります。

親は、子どもの代わりに人生を歩けない。
でも、背中を押したくなる瞬間――どうしても押さずにいられない時がある。

それは、私のエゴなのだと思う。
そう思いながらも、伝わってほしいと思ってしまう。
それをどこかで肯定したくなる、自分勝手な私がいる。

大きな視点に立ち返りたいと願う。

宇宙の意識、満ち満ちた愛、命の流れ。
そこにすべてを委ねて、深く呼吸できる私でいたいのに、

小さな体に戻ると、私はただの「母親」になる。
彼のことが、愛おしすぎて。
大事すぎて。
気づけば、母親という役割に盲目になってしまう。

まっすぐな愛が、ときに苦しさを生む。
祈りのような気持ちが、いつの間にか不安と混ざっていく。

私は、「母」という名の小さな私に戻りながら、
それでもまた祈る。

彼の命の強さを、ちゃんと信じられるように。
彼の心が、自分の道を歩けるように。
その背中を、必要な時にだけ、あたたかく支えられるように。

今日も私は、揺れながら彼のそばにいる。
それでも、彼のベストな母親でありたい。
ただ、それだけを願っている。


LIFE IS BEAUTIFUL
世界は光に満ちている


よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次