与えたいだけじゃなかった。愛の循環という祈りが生まれた夜

a black and white photo of a woman with her eyes closed

目次

与える人になりたいと思っていた

今年の初め、私は自分にひとつの願いを捧げた。

”もっと、人に与えられる人になりたい。”

いつも誰かに助けられてばかりだと感じていたから、
今度は自分からこの世界に
何かを差し出せる人でいたいって、そう思った。

でも、あるとき友達に言われた。

「いや、ひろこちゃんはもう十分与えてると思うよ?私はいつも十分与えてもらってるよ。」

また別の人からも、ヨガの生徒さんからも、同じような言葉をもらった。

その言葉を受け取ったとき、私は笑って「ありがとう」って返したけど、
心のどこかで、「そんなことないよ」って、すぐ否定した。

「3回褒められたら、それはあなたの長所」

あるとき、誰かがこんなことを言ってくれた。

「同じことを違う人から3回褒められたら、それはもう、あなたの“長所”なんだよ」って。

いい加減受け取ってみたらどう???

そう言われた気がした。

そうだよね。似たような褒め言葉を何度か言われてきても、でもそのたびに私は、
「たまたまだよ」「気を遣ってくれてるだけ」って、
その言葉を真正面から受け取れずにいた。

正直、受け取るってどうするのかもよく分からなくなっていた。

吸う息と、吐く息と――わたしの呼吸の話

ある日、少し不思議な整体に行った。
サイキックの感覚を持つその人は、体を触れただけで、私にこう言った。

「あなた、受け取るのがあまり得意じゃないんだね」
「きっと、吐く呼吸は得意なんだろうけど、吸うとき、体が少し苦しいはずだよ」

私の体はいつだって知っている。

ヨガを、もう何十年もやっていても
――たしかに、吸うとき、胸のあたりや喉の奥がギュッとなる感じ、
ずっと前から、あったなって。

吸いたくても、
その手前で何かが詰まるような感覚。
胸の内側に、そっと鍵がかかっているような感覚。

吸って、吐いて、また吸って――
その循環の中で、私たちは生きている。

吸う息と、吐く息。
どちらが欠けても、バランスは崩れてしまう。

そのバランスが崩れたまま「与えよう」としていたとしたら、
それは、どこかで自分を置き去りにしていたのかもしれない。

私の体は知ってる。
心も、ほんとうは、知っていたはずなんだ。

「吸うことも、大事なんだよ」って。

受け取った“つもり”のままで

その夜、私は、自分の呼吸を、いつもよりゆっくり丁寧に感じてみた。

吸って――
やっぱり、苦しい。

胸の奥。
胸のあたり。
喉の奥が、ぎゅっと詰まる。

「あなた、受け取るのがあんまり得意じゃないんだね。」

あの整体の人の声が、また思い出された。

受け取るのが得意じゃないって、どういうことなんだろう。

ずっとずっと、与えられてばかりだと思っていた。
私からは何かを与えることができているのか、そんなことばかり考えていた。

だけど、今、反対のことを言われている。

受け取るって、どういうこと?

やっぱり体は、全部を知っている。
吸う息のたびに、詰まる感覚。

でも心は、まだその意味を
うまくつかみきれていなかったのかもしれない。

静かな呼吸の中で、
私はまた、問いの中にいた。

私はちゃんと、受け取ってきたのか
もしかしたら、十分に受け取れていなかったから
本当の意味で「与える」ってことはできないんじゃないか――

そんなことを思いながら、
呼吸をひとつずつ、深くしていく。

吸う息も、吐く息も、どちらか一方だけではめぐらない。
そのどちらもがあって、命は前に進む。

思いっきり吸ってみる。
震える胸、窮屈な感覚。

その中で、吸う息の違和感がなくなるまで、
受け取ることを意識して呼吸を繰り返した。

――私は受け取っていい。

気づいたらそんなアファメーションが私の中に浮かんでいた。

しばらくすると、
ずいぶん吸う息も心地よく吸えるようになっていた。

与えることと、受け取ること。
どちらも、まっすぐにできる自分でありたい。

その夜は、静かな呼吸の中に、
そんな決意のような、祈りのような想いがあった。

吸う息、吐く息 ― 命のなかの循環

受け取ること。与えること。

呼吸はいつも静かに教えてくれていた。

吸う呼吸、吐く呼吸。一見、正反対に見えるこのふたつのエネルギー。
でも、どちらか一方だけでは命は巡らない。

吸って、吐いて、また吸って。
その当たり前の循環の中で、私たちは生きている。

与えることが特別なのではなく、
受け取ることが立派なわけでもない。

ただ、生きている間に、
自然と交互に訪れてくるだけのこと。

あるときは与えられ、
あるときは与えていて、
その行き来の中に、私たちは在る。

もしその巡りが特別だとしたら、
きっとその中に、神聖な愛が流れているからだと思う。

吸う息とともに、
私の中にあったものがやわらかく世界にほどけていき、
また、誰かのまなざしや想いが、
私の中へと静かに流れ込んでくる。

そんな自然な愛の循環のなかに、
ただ静かに、身を置いていたい。

「与える人になりたい」と願った私が、
いまはただ、そのめぐりの中にいたいと思っている。

同じようで、どこか深く意識が変わった。

祈りのような、あたたかい気づきが
その夜、自分の中にそっと生まれていた。



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世界は光に満ちている



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