突き上げる怒り ― その正体を見つめる

セッションを終えた翌日。
昼間、夫からメッセージが届きました。
「今学校から電話があって、息子がお腹が痛いって言ってるから薬を飲ませてもいいかって確認されたよ」
一瞬、私は落ち着いて受け取ったつもりでした。
けれど、その報告を聞き終えて電話を切ったあと、胸の奥から熱いものがこみ上げてきました。
心配させないでよ!
悲しいことに、息子の辛さに寄り添う気持ちよりも先に強い怒りが、身体の内側から突き上げてきて
私は同時にそのことに戸惑い動揺しました。
湧き上がった怒り
ただの電話。
ただの体調不良の連絡。
それだけのはずなのに、どうしてこんなに動揺してしまうのか。苛立つってしまうのか。
昨日「息子を信頼すること」をゴールにセッションを終えたばかりなのに、
そんな思いを吹き飛ばすような怒り。
「心配させるな」という思いは、息子への思いなのか、
それとも、自分自身に向かっているのか。
混乱の中で、自分の気持ちに向き合いながら私はふと気づきました。
この怒りは、今この瞬間だけのものではなくて。
もっともっと深い恐れから立ち上がっていること。
怒りの奥にあるもの
「学校に行けなくなるかも」
「不登校になったらどうしよう」
そんな恐れと不安が一気に押し寄せてきました。
それは、ただ息子の未来を案じてのことではなかったのです。
心の奥で響いていたのは、私自身の過去の声。
“普通にできない自分”を責め続けていた、かつての自分の記憶がざわざわと揺れ始めていたのです。
私は子どもの頃、学校に行けなかった時期がありました。
当時は“不登校”という言葉すらなく、 「できないこと」に名前も理解もありませんでした。
ただ“変な子”として見られるしかなく、 人に説明もできず、助けを求めることもできず、
他の人と同じことが出来ない自分、誰もができることが出来ない自分を責め続け
孤独と自己否定の中で過ごしていた日々。
あのときの苦しさは、思い出しても言葉にしきれないほど深く辛いものでした。
誰にも理解されず孤独の中、 自分を責め続けていた記憶。
「もう二度とあんな思いはしたくない」 「息子に同じ思いはさせたくない」
学校に行きたくない息子の姿と当時の私の姿が重なり、強い反応が出たのだと気づきました。
その反応の奥には――
まだ癒されていない子供の私自身がいました。
言葉を変えるという選択
そのことに気づいたとき、怒りの熱はすっと冷めていきました。
連絡を受けた時は怒りと共に
「なんでそんなに弱いの? なんでできないの? 頑張ってよ」と言いたくなっていた私がいました。
そして、気づきの後には、ただ抱きしめて
「辛かったね」
「1人で頑張りすぎないでいいんだよ」
「大丈夫だよ」
そんな言葉をかけてあげたい自分がいました。
それはあの頃の私自身が本当は言ってもらいたかった言葉でした。
信頼を選び直す
「守ること」ではなく「信頼する」ほうを。
「責める」ではなく「受け止める」ほうを。
息子は絶対大丈夫。 心の底からそう思えました。
「信頼する」という選択を、現実の中で実際にできた瞬間――
前日のセッションが自分の中に深く響いていることを実感しました。
そうやって選び直すことで、私はようやく――
“癒されなかった子どもの頃の自分を、今の私が抱えて連れて行こう”と思えたのです。
この続きのセッションのことは、また次回のブログで。
LIFE IS BEAUTIFUL
世界は光に満ちている