感じることを、自分に許してあげてください

今、もしあなたが、 大きな感情の渦に飲み込まれそうになっているのだとしたら、
泣きたいほど悲しい感情が押し寄せてきているのだとしたら──
それは、あなたが「ちゃんと生きている証」です。
感情を感じることは、怖いことではありません。
それは生きることそのものであり、 あなたの中に確かに命が流れている証拠です。
だから、どうか安心してください。
感情と繋がることは、なぜこんなにも怖いのか
“感情”を感じること。
それは時に、大きな波のように私たちを飲み込みそうになったり、
深く胸の奥に刺さるような痛みとして訪れたりする。
だから、感じることを止めてしまいたくなる。
けれど、もっと怖いのは──
感じられなくなること。
心が何も反応しなくなること。
自分でも自分の気持ちが分からなくなっていくこと。
それはとても静かに進行する。
でも確実に、生きる感覚を奪っていくんだと思うんです。
なぜ “感じられないこと” が怖いのか
感じられない状態というのは、
“本音と繋がれない” 状態だとも言える。
その場で笑っていても、本当は悲しい。
頷いていても、心は置き去りのまま。
そんな状態では、他者と深く信頼関係を築くのがとても難しくなる。
言葉や表情の裏に、本当の “あなた” がいないから。
相手もまた、”何かが噛み合わない” と、どこかで察知する。
それが不安や孤独、すれ違いの根本原因になっていく。
不感症になる背景には、恐れや現実逃避がある
感情を感じられなくなる人は、
とても深い場所に、傷や恐れを抱えていることが多い。
感じたら壊れてしまうかもしれない。
感じたらもう立ち直れないかもしれない。
そんな無意識の恐れが、感情と自分を切り離す防衛反応になっていく。
そして、心は少しずつ麻痺していく。
自分を守るために。
けれど、それは “今この瞬間の命” を鈍らせることでもある。
感じ方は人それぞれ。でも感じることをあきらめないで
感情の表現の仕方は、本当に人それぞれ。
大きな声で泣いてもいい。
静かにうつむいてもいい。
微笑む中に痛みがあってもいい。
どれも間違いじゃない。
正しい表現の “型” なんてない。
でも、自分の中に何かが揺れていることだけは、無視しないで。
感じていいんだよ。
怖がらずに、少しずつでもいいから、
その揺れに寄り添ってみてほしい。
ヴェーダーンタの教えに触れてみる
ヴェーダーンタの視点では、感情は”私そのもの”ではない。
それはただ、体を通して現れている一時的な波。
「これは私ではない」と識別することが大切とされている。
感じることを否定しない。
でも、それに呑み込まれない。
そのためには、まず自分の中で何が起きているかを知ること。
感情を閉ざさず、まずはその存在を認めること。
それが、私たちを感情から自由にし、
本来の自分の静けさへと導いてくれる一歩になる。
最後に
自分が何を感じているのかわからない。
もし、そんなふうに感じていたら、 あなたの中には、まだ見つめていない揺れがあるのかもしれません。
自分の感情に触れるのが怖いと感じていたら、 それは、感じたら崩れてしまいそうな不安や、
その奥にある傷に、直面する怖さがあるからかもしれません。
でも──
それでも大丈夫です。
どんな感情も、あなたを壊すためではなく、 あなたに“今ここにいる”ことを教えてくれるために訪れています。
だからどうか、 感じることを自分に許してあげてください。
無理に言葉にしなくていいし、 涙にできなくてもいい。
でも、自分の内側にある揺れに、 そっと手をあてるように。
少しずつ、自分とつながってみてください。
そしてその先に、ヴェーダーンタの教え──
「私は感情ではない」 という識別の静けさが、 やさしく訪れてくれるはずです。
見えない感情に、やさしく光をあてて。
LIFE IS BEAUTIFUL
世界は光に満ちている