Satya。自分を生きる、私信。

【本音】
①まことの音色ねいろ。
 ②本心から出たことば。たてまえを取り除いた本当の気持。「―を吐く」

【正直】
 ①㋐心が正しくすなおなこと。いつわりのないこと。かげひなたのないこと。
  ㋑率直なこと。ありのまま。


私ね、自分って存在は
唯一無二で本当に素晴らしいって思っているの。

年々というか
ここ最近、強く疑い無くそう思えて

昔は自己否定ばかりで自分を傷つけてきたけれど

自己否定をしているのってすごくすごくもったいないなって。

こんなに素晴らしい自分をさ、人と比べて

できるとかできないとか…そんなの意味ないなって。

そういうものの見方が
だんだん自分から離れていったよ。




それでも、たまに
ある部分では、まだまだ劣等感が強く残って反応したりもあって

この現代社会で成功と言われる形を
成し遂げた人を見たり

自分から見ると
とても魅力があって優秀に思える人たちに出逢ったりするとね



その人たちが持つ能力を
何一つ持ち合わせていないことを焦ったりダメに思ったり

ふと”足りない”って視点から
物事を見ようとすることに慣れすぎている自分に気付いて



その都度
マインドセットを切り替えてる。





確かに
この時代で持ち合わせていたら便利だなっていう能力ってある気がするけれど

それが無いからといって
自分を否定しなければいけないほど重要なことではないよね。

そもそも、人には
いろんな個性とギフトがあって

外側に発するエネルギーが強い人や
表現能力の高い人もいれば

受け取る感覚が強い人
じっくり感じることが大切な人や

自分の中に起きるエネルギーの変化を
観察することが得意な人もいて

外向的な能力は
見えやすいし伝わりやすいけど

内向的な能力の中にある
哲学や宇宙の神秘の美しさも



素晴らしく神聖だと思うの。




ただ、現代のスピード社会では
外向的な人がの方が
少しだけ活躍しやすいし便利かなとも感じるよ。

でも、ただそれだけって思う。




無いものを執拗に求められる社会に生きるなら
その中では求められる能力が低いって
ただそれだけで

人間として、存在として
素晴らしいし引目を感じる必要もないなって。




正解がどこかにあると思ってしまうと
不正解な自分が生まれるけど

だれのやり方も生き方も
自分にとっては正解ではなくて

自分自身こそが、自分の人生と表現をクリエイトする人だと思っているから

どこからかの視点でジャッジされたとしても
それは重要じゃないと思ってる。



自分がやりたいことの世界で成功している人
または、
自分からは成功しているように見える人のやり方は
あくまでもその人を輝かせるやり方で

自分にとっての正解じゃないから
まねる必要もないよね。

その人たちが持ってる能力がないからって

自分の夢を叶えられないわけでも
輝くこと、自分を生かすことが
不可能なわけでもなく
自分のやり方でできるって思う。

正解がどこかにあったほうが
その道をフォローできるから楽な面もあるけど

自分を生かす覚悟を持って
堂々と自分だけを生きているほうが
私にとっては心地よいよ。

自分ができないことを深く追求したり
なんで??って思う時間がもったいない。

何より大切な時間は
私が幸せを感じることに使うよ。






本音で生きることって、
思っていたより深い深いことでシンプルで

フィルター越しに覗いた世界への
自分のリアクションを隠さずにいることなんかではなくて

フィルターなんてぶっ壊して
真実を見極めて自分の魂の使命を使い切ること。

正直でいることは
浅いところで揺れ動く感情を大切にすることのもっと奥底。



自分のどこから欲求が来ているのかを見極めて
真実への欲求だけに耳を傾けること。

そんな風に
今は理解している。






【Satyaサティア】
正直でいること。
自分に嘘をつかない。

ヨーガスートラのこの意味の理解に
祈りを込めて。

1日が始まる時にこのときに
今日の自分に誓います。

ー自分を生きるー


LIFE IS BEAUTIFUL 
世界は光に満ちている

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