感謝と共感について。
今朝のごはんのときのこと。
目玉焼きのきれいな黄色を眺めていたら
ごはんを食べれるっていう幸せが私の中に広がって
なんだかわからないんだけど
突然、涙が出るほどの有り難さに満ち溢れて
感謝の中にいる自分に気づいたのです。
感謝について長い間コンプレックスをいだいていました。
10代や20代で苦しみの中にいたころにその悩みの内を明かしたときに
家族がいること
寝る場所があること
食べ物があること
生きていること
いろいろな苦悩があったとしてもあるものに対して感謝するべきだと
たくさんの人からアドバイスをいただきました。
当時の私は、長年続いた不調の中眠ることも食べることもできず
どんどん悪くなっていく自分の状況は闇の中をひとりぼっちで歩いているようで
心細くて、気持ちも不安定でした。
死にたくないのに、生きていける気もしなくて。
悲しみと絶望の中で溺れているように辛うじて呼吸ができていただけで
あるものの幸せに気づく余裕などなかったのです。
感謝が足りないから、自分がこんな目に合っていると言われているようで
自分を恥じて責めて
次第に誰かに助けを求めることもなくなっていった寂しい思い出。
回復に時間がかかってしまったけど今思うことは
感謝ができないくらい辛い時は、感謝が自然にできるようになるまで
自分を回復させる必要があるってこと。
自分が自分らしく生きることができたら
自然に感謝って湧いてくるんだと思います。
今朝のわたしのように。
目の前の人に対して
『あなたは感謝すべきだよ』
『いまある幸せに気づいた方がいいよ』
そんな風に言いたくなったら、それより先に
その人の身になって一緒に感じたいと思う。
以前、共感について話を聞いて
なんだかとっても心に響いた
“共感するってとっても神聖なことだって
共感はその人の身になって一緒に感じること
だからこそ自分の心をさらけ出す勇気がいる選択だって
だって人の心を開くには
自分も過去の辛い闇に向き合うことになるから
人の苦悩を聞いてそのまんまを受け止めていくのって
私たちにとってとても辛いことだから
明けない夜は無いなんて
つい励まそうとしてしまうことがあるけれど
本当にその状況を少しでも楽にしてあげたいと願うなら
辛い話を聞いて
どうしたらいいのかわからないときは
なんて言っていいかわからないよ、でも打ち明けてくれて嬉しいよって
伝えたらいいって
だって実際はどんな言葉だって
そんなに辛い状況を簡単に変えられないんだから
そして
その人の気持ちを少しでも楽にすることができるんだとしたら
それは 人との繋がりだから”
LIFE IS BEAUTIFUL
世界は光に満ちている