祈り
たまに夫がポツリと言う。
100年後には、この世界にいるほとんどの人が生きてはいないんだよって。
この瞬間が全てのように感じられて信じられないけど、そうやって世界は存在している。
ある女性の訃報を聞いた。
お会いできたのは去年の夏の1回だけだけど
大きくなったお腹を抱えた彼女の笑顔はとても印象的だった。
まだ幼いかわいい我が子を残して旅立った彼女を思うと涙が止まらなくなった。
人生は時に残酷だ。
必要なものが全て与えられることを信じられるようになったかと思えば
そんな思いを覆す出来事が起きたりする。
それでも、大きな宇宙に存在する魂の旅路は
私の考えなんて及ばないほど壮大で
残酷だと思える出来事ですら必要なこととして与えられるのかもしれない。
そしてそれはとてもとても神聖な領域で
だれであっても、自分のことを含め、命の在り様を判断できない。
私たちはいずれ死ぬ。
いつかはと思っていても、今ではないと思ってる。
でも明日も明後日も自分や大切な人が生きているなんて保証はどこにもない。
その時がまだ長い先だと思えることは幸せなことだと思う。
だからこそ、その幸せにくつろぎながらも、
有限な時間を生きていることを、自分の可能性を信じることを、人生にチャレンジすることを
壮大な魂の旅路の途中に出会えた
大切な人たちに愛を伝えることを忘れないでいたいと強く思った。
私が私の命を終えるとき
私はそれを愛と信頼とともに受け入れられるのか。
今できるのか、それとも残された時間の中で私を鍛錬した先にできるようなるのかは、その時がこないとわからないけれど
きっとどこかで私は真実を知っていて、そうしたいと願っている。
誰かの死をきっかけに、思うことはたくさんあって、でもそれをこうした場所に書くことに対して嫌悪感があった。
神聖な領域を利用しているように見えたから。
それでも今日、私がここに綴ったのは
私にとってとても大切なメッセージを受け取ったと感じたから。
そのメッセージは彼女の光が私を照らしたものだと感じたから。
だからただ 私という小さな場所からでも
命に対する敬意を持って
それでも悲しいと思う私の感情を味って
そして、ここに思いを綴るとともに祈りを捧げます。